建築甲子園表彰式
2013年第4回高校生の建築甲子園表彰式(2014年1月17日実施)
同上(動画)
第4回 高校生の建築甲子園 優勝・準優勝
優勝
エントリーNo.35 徳山工業高等専門学校「就漁支援~広がる暮らし~」
準優勝
エントリーNo.15 山梨県立甲府工業高等学校「富士山と共に ~御師の町に住まう~」
2013年 第4回 建築甲子園審査総評
20120107 片山和俊
難しかったというのが今回の審査・選定についての正直な感想である。
はじめに作品パネルを一巡し、表現レベルは上がっているものの抜きん出た提案が少なく、ドングリの背比べのように見えた。以前指摘した無駄な色使いが減るなど総じて見やすくなったが、逆に個性的な提案や表現が少ないように思われ、ジレンマを感じた。この一様さはCADによる表現のせいだろうか。
同じテーマで4回目になり、応募する側が難しかったことと容易に想像がつく。テーマの発見や切り口、具体的な場所などが既に提案されてしまっている場合も多そうである。
ここで今回の提案で目についたテーマを拾い上げてみると、所謂伝統的な町並みの再生・復権、大工等による伝統技術、商店街の地場生産品や次世代・趣味の交流による再生、農業・果樹園・里山と暮らし、寒冷地・海浜・桜など地域の環境的な特徴と住居群のあり方などとその組み合わせであり、前回までと大差はない。変わったところでは音楽に媒介を求めた暮らし方や、老若男女様々な人が利用することから、病院を集住化してしまう提案などが目についた。それぞれがどうしたら孤立した暮らしから、過疎から、シャッター街と化した商店街から脱却して、生き生きとした地域とくらしが復権できるかの模索の数々であり、地域のくらしをイメージすることが難しい段階にあると教えられた。ここで作品と提案から、今回の建築甲子園のトーナメントから感じた3点について述べてみたい。 一つは、回数を重ねた結果、分かりやすい“地域のくらし”を越えて、日常的な地域の暮らしに近づいてきたように思われること。見方を変えれば中々捉えにくい地域の実相に向き合った諸提案と考えられるだろう。過去に遡って調べているわけではないが、観光的な対象は減っていそうだ。
二つは、前回に較べて、ベスト8止まりではあったが九州・四国各県の提案内容が飛躍的に充実してきたことが上げられる。同地域にはまだ確かな地域のくらしがあることと、回数を重ねた効果で提案の方法が浸透してきたからかも知れない。一方、地域性が捉えにくい東京での初参加も評価したい。
三つは、計画内容と表現が一面的というか羅列的、言い方を変えれば勉強的な作品が多かったように思われる。文章量が多く、文字が小さくて全てを読まないと趣旨が分からないパネル表現が目についた。図面が小さく、空間と主張が分かりにくいのもCADかネットの弊害か.作品を審査する側から判断して表現して貰いたい。
そして対戦を振り返ると、優勝した山口県“就魚支援”は当初の注目度はあまり高くなかった。が、対戦が進むうちに浮かび上がった作品で、日本の漁業が抱える後継者不足や、子どもの減少による学校の廃校と空き施設問題を抱えていることが鮮明になり、勝ち進んだ。もう一歩具体性を求めたいところだが、他にないテーマに勝機が生まれた。準優勝は、世界遺産登録の時期を得た富士山登山に関わる山梨県の“富士山と共にー御師の町に住まう”で、案の組立て・表現とも良かった。さすが昨年の優勝校である。審査委員長特別賞は、青森県の間伐材利用による“薪ストーブ街の提案”で、改めて薪ストーブの様々な暖かさが思い出された。肌で感じた記憶は消えないものである。
ところで、よいことは繰り返すべき、同じことを繰り返すと飽きるということはどんな事にも起きる現象。変えた方がよい、いや変えない方がよいとの判断は悩ましいが、この“高校生による建築甲子園”にそういう議論が起きていい時期ではある。来年度第5回は、これまでと同じ“地域のくらし”で続けるつもりだが、よりよいあり方を目指して節目を乗り越えたい。今春、審査委員会から建築甲子園のこれまでのプロセスを報告し、テーマを含めて第6回以降の進め方について建築士会教育事業委員会に諮りたいと考えている。
2013年 第4回 高校生の建築甲子園 優勝
エントリーNo.35 徳山工業高等専門学校「就漁支援~広がる暮らし~」
選手/3年男子3名、女子2名
地方の人口の過疎・高齢化、漁業従事者の不足、学校の統廃合による施設活用はどれも日本各地に共通した問題であり、かつ中々解決策のない手詰りの問題である。山口県下松市笠戸島深浦のこの計画は、海に近い廃校となった中学校について、漁港に近い立地条件を生かし、漁師になりたい人を中心に支援する施設を発想し、利活用に向けた改修計画を提案したもの。廃校施設の中に定住体験、授業・研修の空間や外来者に対するお食事処などを既存施設の中に設け、地区には移住者に空家を供する計画である。現実化には更なる工夫が必要、あるいはこの程度では弱いという判断も考えられるが、地域に対する危機感とそれをどうにかしようという情熱を高く評価し優勝とした。むしろこういう試みは、支援・応援の輪を広げること、具体的な問題解決へ導いていくこと、周囲を引込み動かしていく為の強い初志こそ肝要と思われる。図面表現と説明は適切で分かりやすいが、リアリティへの表現はまだ足りない。学校全体、配置上の計画も欲しい。Before→Afterとテレビ的にするのはよいとしても、Afterの状態についての利用方法や工夫がハード・ソフトとも具体的で、魅力的でないと引張っていけない。難しい部分だからこそ逃げてはいけないと注文をつけ、優勝としたい。
2013年 第4回 高校生の建築甲子園 準優勝
エントリーNo.15 山梨県立甲府工業高等学校「富士山と共に ~御師の町に住まう~」
選手/3年男子2名、女子2名
かって富士登山の入口の町として栄えた富士吉田市。ここには、富士山信仰を目的とし山頂を目指す人たちに宿を提供し、登山の無事を祈願する「御師」が存在した。往時の江戸中期には100軒ほどの御師町があったのが、1964年に富士山スバルラインの開通で5合目から登る「観光登山」に変わり、衰退してしまったという。現在残る数軒のうちの3軒を基に、御師の町の復権再生を試みた計画である。日常の生活空間と登山客と御師に提供する空間を混在させながら成り立たせる構成、部分から全体に亘る集落的な構成などが緻密に組まれており、全体としてよくまとまっている。敢えて疑問を呈すれば、御神前と3軒の平面、駐車スペースの関係にもう一工夫あっても良かったのではないだろうか。模型による表現などに並々ならぬ情熱を感じたが、丁寧とは言え説明文と文字が長く小さく理解しにくかったことと、折角の富士山の視覚的表現がないのはどうしてだろうか。効果的に使われていれば、説明的にならなかったと惜しまれる。 とは言えこの提案が示す山に登るという行為に、こういう起点があればという発想が良いし、富士山の世界遺産登録という時機を捉えた提案も魅力的である。昨年の優勝校らしく安定した力量が感じられ、高評価につながった。